2018年 第24回全国大会 院生組織 発表報告(1)
2018年9月1日
2018年度全国大会 院生組織
グループ発表「鯨」報告
大会前夜、太地町・梶取崎にある供養塔の前にたつ。鯨を模った石像も自分の足も暗闇に溶けこみ、岬の縁で、うねる紺色の波を覗きこむと、自分の鼓動か、くじら博物館で聞いた鯨漁の太鼓の音か、どう、どう、という音が耳に響いた。昼間に水しぶきを浴びながら初めて見た鯨の姿にも、巨大な生きもののような湾にも、唸る夜の海にも圧倒されていた。
院生グループ発表「鯨」では、前日に太地町を訪れ、第1日目に発表を行った。笠間悠貴(明治大学・院)は前日の報告と森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』の書評を行い、近代捕鯨の誕生から保護にいたる歴史を辿る。反/捕鯨を取りまく問題と、それを打開しうる他者の痛みへの共感、「汎人間中心主義」を示し、開かれるべき「他者性への通路」を検討した。
青田麻未(成城大学研究員)はEmily Bradyの表現的性質論を用いて鯨の美的価値を考察する。Bradyによる動物の美的価値とは、感情を通じて見出される人間との類似性だけでなく、崇高さ(sublime)をもたらす非類似性にも存在する。鯨の美的価値の重要な一例として、雄大な海へとつながる「水と切り離せない」異質性が提示された。
続いて高橋実紗子(聖心女子大学・院)が初期近代の英語博物誌が描く鯨を調査する。未知なる鯨は、占有可能な場所の比喩を用いて理解されると同時に、人々が理解することのできない海を体現する驚異(wonder)でもあった。
最後に戸張雅登(立教大学・院)がディープエコロジーとバイオリージョナリズムからGary Snyderの詩“Mother Earth” を読み解く。Snyderは脱人間中心主義のひとつの形として、人間と動物の共通項=人間性(spirit)を見出し、あらゆる自然物を等しく「人々」と呼ぶ。作中、大海を自由に移動する鯨は、多様な生命の器たる地球そのものとも解釈できよう。
人間も海も鯨も、他者がともにあった岬での夕闇を思いつつ、今回、体験を交えながら他者・鯨と対峙する際の姿勢を多角的に再考できたことは非常に有益であったと感じている。
執筆者:高橋 実紗子 (Asle-J Newsletter No.45 [2018年10月発行] 「院生組織だより」より再掲)
2018年度全国大会 院生組織
グループ発表「鯨」報告
大会前夜、太地町・梶取崎にある供養塔の前にたつ。鯨を模った石像も自分の足も暗闇に溶けこみ、岬の縁で、うねる紺色の波を覗きこむと、自分の鼓動か、くじら博物館で聞いた鯨漁の太鼓の音か、どう、どう、という音が耳に響いた。昼間に水しぶきを浴びながら初めて見た鯨の姿にも、巨大な生きもののような湾にも、唸る夜の海にも圧倒されていた。
院生グループ発表「鯨」では、前日に太地町を訪れ、第1日目に発表を行った。笠間悠貴(明治大学・院)は前日の報告と森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』の書評を行い、近代捕鯨の誕生から保護にいたる歴史を辿る。反/捕鯨を取りまく問題と、それを打開しうる他者の痛みへの共感、「汎人間中心主義」を示し、開かれるべき「他者性への通路」を検討した。
青田麻未(成城大学研究員)はEmily Bradyの表現的性質論を用いて鯨の美的価値を考察する。Bradyによる動物の美的価値とは、感情を通じて見出される人間との類似性だけでなく、崇高さ(sublime)をもたらす非類似性にも存在する。鯨の美的価値の重要な一例として、雄大な海へとつながる「水と切り離せない」異質性が提示された。
続いて高橋実紗子(聖心女子大学・院)が初期近代の英語博物誌が描く鯨を調査する。未知なる鯨は、占有可能な場所の比喩を用いて理解されると同時に、人々が理解することのできない海を体現する驚異(wonder)でもあった。
最後に戸張雅登(立教大学・院)がディープエコロジーとバイオリージョナリズムからGary Snyderの詩“Mother Earth” を読み解く。Snyderは脱人間中心主義のひとつの形として、人間と動物の共通項=人間性(spirit)を見出し、あらゆる自然物を等しく「人々」と呼ぶ。作中、大海を自由に移動する鯨は、多様な生命の器たる地球そのものとも解釈できよう。
人間も海も鯨も、他者がともにあった岬での夕闇を思いつつ、今回、体験を交えながら他者・鯨と対峙する際の姿勢を多角的に再考できたことは非常に有益であったと感じている。
執筆者:高橋 実紗子 (Asle-J Newsletter No.45 [2018年10月発行] 「院生組織だより」より再掲)