4月28日 院生組織の集まり

4月28日 院生組織の集まり・中野フィールドワーク

4月の終わり、例年にくらべ長いゴールデンウィークの始まりに、ASLE院生組織のメンバーが集まりました。
今回の目的は三つ。

1. 春休み中に各自がPDF化した、1994年の創刊号から18号までのASLE機関誌のデータを持ち寄ること
 これには、ASLE本部において本誌のバックナンバーのうち在庫管理が困難になった分を処分することになったと耳にした院生メンバーの一人が、PDF化を提案したという経緯がありました。本誌のバックナンバーが何らかのかたちで将来的に残らなくなってしまうことを危惧し、「そのように簡単に処分されてしまうかもしれない機関誌に、誰が自分の論文を載せたいと思うだろうか」という言葉に、皆が賛同した形でした。
 今回PDF化をする過程で、これまで手にする機会をもたなかった初期の機関誌も手にさせていただき、日本におけるエコクリティシズムの動向、その可能性の広がりを目の当たりにし、この試みが今後、同学会内外のエコクリティシズムに関心をもつ多くの人たちにも役に立つことになるのではないかと強く感じました。現時点ではPDF化した情報をすぐにネット上で公開することはできないようですが(これまでの執筆者に許可を得る必要があるため)、そうしていくために必要な最初の段階は踏めたのではないでしょうか。

会誌のバックナンバー目次一覧は、ASLE本部のホームページに記載されています。
https://www.asle-japan.org/publications/%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%A8%E7%92%B0%E5%A2%83/

2. 今年度のASLE全国大会での院生パネル発表のテーマを話し合うこと
 前回の会合(1月16日)で、ぜひ今年の院生企画もパネル発表をしよう、ということになっていたため、今回はさらに具体的に各自が最近考えていることを共有し、そこから共通のテーマを模索しました。現段階で決定したのは「見えない景色を旅する」というテーマ。
 発表予定者(仮)は、東京の古くからの「郊外」あるいは「武蔵野」の研究者である伊東さんと江川さん、戦後の下北沢の研究者である谷口さん、写真家の渡辺兼人の研究者である笠間さん、環境美学専門の哲学者である青田さん、文化人類学者マイケル・タウシグの研究者である林さん、アメリカ西部の詩人ゲイリー・スナイダーの研究者である戸張さん、カリブ海ドミニカ国出身の作家ジーン・リースの研究者である三宅です。今回のパネル発表参加希望者は大人数で、その研究領域が多様であるだけでなく、「見えない風景」というテーマについての関心を大きく共有しており、すでに今回の会合で刺激的なやりとりがありました。今後の話し合いも非常に楽しみです。

3. 中野フィールドワーク
 そして締めくくりは、今回集まった場所である「中野」のフィールドワーク。先に述べたように、メンバーの中に東京の郊外や武蔵野に詳しい研究者が二名いたため、フィールドワークは『ブラタモリ』もびっくりの、内容の濃いものになりました。以下、三宅によるフィールドワーク覚書より。

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 中野に住むメンバー宅へ向かう道すがら、「近所の神田川が昔氾濫して、周りの宅地一体の一階部分が浸水したこともある」という話を耳にしていたけれど、そのあと伊東さんが持ってきてくれた古地図の解説とフィールドワークを経るうちに、江戸の都にとってながらく特別な「郊外」だった中野(武蔵「野」の「中」心だから中野らしい)という場所が、いかにこの神田川用水と密接な関係を保ってきたのかということが少しずつ浮かび上がってきた。







 「護岸が高く築かれているせいで、川が遠くて、見下ろす感じになるね」
そう呟きながらも、コンクリートで高く固められた川沿いの道を新宿方面に向かってしばらく歩く。水上にぷかぷか浮かぶ二羽の真鴨と飛んできた椋鳥が、ずっと下のほうに見える。ほかに、生き物の気配はなかった。

 「氷川橋」という名の小さな橋のある地点で、脇の小道へと左に折れてみる。比較的新しい住宅のひしめく中、ある一軒家のガレージの天井部分から立派なボートが吊り下げてあるのを目にして、先に歩いた川との連想から誰かが「脱出ボートかな」と呟いた。笑っていたが、伊東さんによれば、このような景色は江戸時代前後には珍しくもなく、川の近くに建った家は洪水対策として軒先に小舟を常備していたというから、意図されない別の時間との景色の重なりに、なんとも不思議な気持ちがする(この数日後に何気なく深沢七郎の『笛吹川』を読み返してみると、ある農家が川の氾濫に備えて軒先に小舟を用意しているのを、周囲の貧しい農家たちが指をくわえて眺めているシーンがあった)。

 この妙な光景にとらわれているうちに、少しずつ道は小高いところへ向かっていて、緑の濃い一帯に「氷川神社」が現れた。同じ名前の神社は各地にあるが、その名前は「氷川信仰」というものに由来していて、川の氾濫がどうにか鎮まってほしいという想いのもと建てられたもののようである。氷川神社の多くは、荒れやすい川である荒川周辺に多く点在するが、この名前が出雲の国の「斐伊川ヒイガワ」に由来していることからもわかるように、かなり古い信仰に根ざしている。このように川をたどっていくと、時代をどこまでも遡っていけそうな気がする。

 自然の猛威への畏敬を感じさせる由来とは対照的に、あるいはその由来「ゆえに」と言うべきか、境内にあった狛犬はめずらしく二体とも子連れで、柔和な表情をたたえていた。母狛犬のオッパイを吸う子狛犬の姿に、「かわいい」という言葉がついて出る。神社の建築自体も、 目を惹くつくりである。屋根の感じが、どう見ても神社というよりお寺のようなのだ。いわゆる神仏習合の名残が強く残る神社なのかもしれなかった。








 境内の裏側には青梅街道とも繋がる本郷道が通っていて、この道の修復をした時に建てられた立派な石碑があった。その碑文からは当時の周りの景色、たくさんの水車を使って川の水力を最大限に利用した精米・製粉工場や、辺りに広がる田園風景も想像できる。本郷道を改修することになったのは、こうした動力源の地帯だったために馬車の往来が激しく、道が荒れていたからだった。現在では近くに元BMW、現ベンツの工場が大きく構えていて、動力や移動手段の変遷が、この場所に特有の痕跡を刻んでいるように感じられた。
(文責 三宅)