文学と民俗学のあいだ―台湾旅行記
文学と民俗学のあいだ―台湾旅行記
昨年の8月、台湾高雄のホテルのロビーで、一層強くなる雨足を眺めていた。台湾中のTVが記録的な大雨を伝えているようで、言語に疎い私でも、明日の渡船が厳しいことは理解できた。蘭嶼への旅は断念するほかない。それでも、同行者の「島への旅はいつも気まぐれ」という言葉を、まだ上手く飲み込むことができなかった。
台東から東南に約90キロ離れた、面積約48㎢の小さな火山島。台湾原住民族(注)のうちの一つである、タオ族(ヤミ族)が暮らす地、蘭嶼。私がこの蘭嶼への想いを寄せたのには、ある一冊の本との出会いがあった。シャマン・ラポガン氏の『大海に生きる夢―大海浮海』(草風館、2017)である。
シャマン・ラポガン氏は蘭嶼出身の作家で、1957年に紅頭村に生まれた。台湾原住民族文学が隆盛した1990年代から創作をはじめ、『冷海深情』、『黒色的翅膀』など、現在までに全10冊を手がけている。そのうち6冊が、魚住悦子氏や下村作次郎氏らによって翻訳され、2017年10月に『大海に生きる夢―大海浮海』が刊行された。
現在も漁師として蘭嶼に暮らしながら、創作活動を行うシャマン・ラポガン氏。しかし、その道は決して平坦なものではなかった。蘭嶼の小中学校を卒業した後、台湾本島の高校に進学した氏だったが、原住民子弟対象の大学推薦入学制度を拒否し、トラック運転手や工場勤務で学費を稼ぎ、自力で淡江大学に入学した。大学ではフランス語を主に学び、卒業後も台北に暮らしていたが、1980年代に原住民権利促進運動に加わる。1982年、蘭嶼南部に核廃棄物貯蔵場が建設されたことを機として反対運動に立ち上がった。1989年には家族と共に蘭嶼へ帰郷。その後は、父親たち古老からタオの伝統的な文化や潜水漁法を継承した。
初の自伝小説となる『大海に生きる夢―大海浮海』には、その並大抵ではない足跡と、南太平洋やオセアニアの島々への旅、そして、情熱的な海へ想いが語られている。
みなは立ち上がると、年かさのものから順に海に出ていった。原初的な波を追う男
たちは、瞬時に村の沖に五十幾艘のタタラを浮かべた。まるで海風に駆られる帆船の
ように風波を受け、コーヒー色の肌をした男たちの集団は、大きな魚に追われて海面
を低く飛ぶ黒い胸びれのトビウオの群れが、胸びれを広げて逃げる一シーンのように
見えた。
(『大海に生きる夢―大海浮海』)
そこに広がるのは、「タオの人々と海の自然が、それぞれが分離独立して存在するのではなく、感情の交流を通じてつながりあう生きられた世界」(浅野卓夫「ひと シャマン・ラポガン」『すばる』集英社、2017.9)である。この原初的な風景の底にタオ族の英知(文化)が横たわっていることは疑いようがない。シャマン氏は国家実験研究院の海洋科学研究センターに所属する人類学者でもあった。
私のなかで、このようなシャマン氏の文体が、宮本常一の文体に重なってゆく。「旅する巨人」と称せられる民俗学者の宮本常一も、昭和54年(1979)9月に蘭嶼を訪れていた。自身の記録「台湾紀行」(『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』岩波現代文庫、2001)によれば、10日間の台湾旅行のうち、蘭嶼に4日間滞在している。鹿野忠雄・瀬川孝吉らに影響を受けていた常一は、30年以上前から蘭嶼への旅を夢見ていたようで、セスナ機の座席でピョンピョンはねて喜んでいたそうだ。同行者の神崎憲武と共に紅頭村や野銀村を歩き、農家の老女や船乗りの男に話を聞いた常一。彼は日本文化と南方文化のつながりを考える上で、蘭嶼を重要視していた。
文明社会は文明社会でひろがりをもち全世界を覆いつつあるが、その底に自然に密
着しつつ、地域的な小さな社会が連鎖状にかかわりあいをもってつながっていること
を見のがしてはならない。
(『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』)
宮本常一もまた、土地から土地を旅し、その連続性や断続性を感じ取りながら、歴史や時代を紡いでいた人である。無論そこには、民俗学という確固たる知を基にしながら、時に文学的な文章でもって発信するという手法があった。私はどこかで、宮本常一やシャマン・ラポガン氏のような文体から、そしてこのような文体をたどることから、新たな「読み」が生まれると信じている。
4カ月後、肌寒い冬の日に、私は東京のとあるカフェで、シャマン・ラポガン氏を前にしていた。本著が鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞を果たし、その懇親会に招いていただいたのだ。翻訳された下村作次郎氏との対談を拝聴しながらも、どこかまだ信じられない気分で、いつの間にか会は終わった。しかし、その後、友人たちと歩いていると、打上げをしていたらしい店から、タバコを吸いに外に出るシャマンさんを見つけた。偶然の、ほんのひと時前からの再会に、一座は可笑しさを隠せなかった。手を振りながら、ふかしていたタバコの煙が高円寺の夜空に浮かぶのを見て、私はようやくシャマンさんに出会えた、そんな気がした。
(注)台湾先住民族は公式に、中華民国憲法に記載された呼称として1994年から「原住民」、1997年から修正されて「原住民族」と呼びます。この呼称は権利獲得運動のなかで自ら勝ち取った正式名であり、本文でもそのような理解のもとで、「原住民」または「原住民族」の呼称を使っています。
執筆者:伊東 弘樹(Asle-J Newsletter No.46 [2019年6月発行] 「院生組織だより」より再掲)