フィンランド滞在記

 フィンランド滞在記

 大学の春休みを利用して、2020年1月から3月まで、フィンランドのヘルシンキ大学に客員研究員として滞在した。2年前の夏に学会参加のため同じくヘルシンキを訪れた際の、夜22時を過ぎても日の沈まない世界の印象は忘れがたい。しかし今回は冬の滞在で、到着してすぐのころは日の短さを如実に感じたものだ。朝8時を過ぎてもまだ外は暗く、それでも小鳥が囀りはじめる。しかし目には夜、耳には朝という奇妙な時間感覚にもすぐに慣れてしまった。
  フィンランドは、私が専門とする環境美学・日常美学の研究がいまもっとも盛んな国の一つである。この分野自体は北米、イギリスといった英語圏から始まったものだが、現在では世界中に広がっている。森や湖といった自然環境の豊かさ、デザイン産業の強さから生じる日常への鋭い感覚といった事情から、フィンランドでこれらの分野が盛り上がりを見せるのは必然であったとも言えるかもしれない。私はヘルシンキ大学のアルト・ハーパラ教授のもとに滞在し、彼が開いている美学ゼミに継続的に参加したが、多くの学生が両分野についての研究を進めている様子だった。
  また、私の滞在をコーディネートしてくださったサンナ・レーチネンさんは、環境美学研究で博士号を取得後、ヘルシンキ大学に属するサステナビリティ科学研究所(HELSUS)でポスドクとして研究に従事されている。美学を修めた人物が、その後のキャリアパスとして学際性ある機関でポストについているということも、フィンランドが多角的に環境問題へ向き合おうとしていることを示す事実であるように思われる。今回の滞在は、美学を内側から学び直すだけではなく、美学をその外側の学問とどのように連関させていくのかということも考えさせられるものとなった。
  しかし滞在中にもっとも印象的だったのは、「きれいな雪景色を見せられなくて残念だ」と、会う人みなが口を揃えたように言っていたことである。今年のフィンランドは記録的な暖冬で、首都ヘルシンキには雪もほとんど降らなかった。東京育ちで寒さには慣れていない私でも、分厚いジャケットにスノーブーツという装備でヘルシンキを歩いていると、汗ばんでしまうことが少なくなかった。
  もちろんこの暖冬の原因は地球温暖化である、と即座に断言することは危険だろうし、専門家ではない私には判断がつかない部分もある。しかし雪がないということ、目に見えて分かる冬がそこにはないということは、ヘルシンキの人々にとって重要な意味を持っていたように思われる。実際、ヘルシンキ大学では地球温暖化を中心とする環境問題に関するイベントが多く行われていて、私もそのうちの一つに足を運んでみた。そのイベントはThink Cornerという、ヘルシンキ大学が運営する市民にも開かれた学術討論のためのスペースで開催されたもので、地球温暖化に対して大学は何ができるか?がテーマとなっていた。はじめに気象学を専門とする教員から地球温暖化に関するレクチャーがあったあと、環境活動家として若者の啓発に努めている学生、ヘルシンキ大学が地球温暖化に対してどのような対策を講じているかをレクチャーする教員が登壇した。大学の取り組みにはクリーンエネルギーを利用した発電やキャンパスの緑化、市民に対する情報提供、専門研究機関の設立などさまざまなものがあり、私はそれを純粋に感心して聴いていた。しかし、質疑応答で手を挙げたヘルシンキ大学の学生が、このレクチャーに対して鋭い意見を投げかける。彼女はこれらの取り組みは大学の宣伝として機能するばかりで、実際に地球温暖化を食い止めるためのアクションにはなっていないと指摘する。本当に世界を変えるために、大学はいったい何をしているのかと彼女は問いかけるのだ。
  私は当初、4月3日の飛行機で日本に帰る予定でいた。しかし3月中旬になると、COVID-19の影響がフィンランドにも大きく出始めた。予定を2週間早め、慌ただしくかの地をあとにして帰国すると、美学ゼミに参加しているヘルシンキ大学の学生から博士論文に向けた研究計画書が送られてきた。なんとそこには「COVID-19のもとでの環境美学」という章がすでに組み込まれていたのである。この瞬発力。環境人文学をやっていくということは、地球温暖化にせよウイルス伝播の問題にせよ、私たちの世界をがらりと変えてしまうものに素早く反応し、しかし同時にゆっくりと思考する技を身につけることなのだと、今回の滞在を通して学んだ。

執筆者:青田 麻未(Asle-J Newsletter No.48 [2020年6月発行] 「院生組織だより」より再掲)